春姫道中とは

春姫と春姫道中

戦国末期、紀州藩初代藩主である浅野幸長(よしなが)の息女「春姫」は、1615年4月12日、名古屋城初代藩主「徳川義直公」に輿入れしました。女騎馬武者43人、長持300棹、御駕籠50挺、長さ10数町にも及んだと伝えられる春姫の華麗な花嫁行列は、混乱の戦国末期が終わり、安定と太平の兆しとして、尾張の町衆に歓呼の声で迎えられました。

「名古屋の街にこの日の喜びを」と、文献に基づき再現したのが「春姫道中」です。本丸御殿に唯一住まわれた春姫にご登場いただき、「名古屋城本丸御殿」の復元を訴えたいと企画したのがそもそものスタートでした。その名の通り「春」「4月」に縁のある姫君です。

婚礼がきっかけで3万石の加増となり、後に61万9千5百石と尾張に金運をもたらしました。また、春姫自身の持参金も莫大なものでした。竣工間もない本丸御殿で義直ともども仲睦まじく暮らしたと伝えられています。

大須の万松寺は春姫の菩提寺。春姫の御霊廟はもともと万松寺に建てられ建中寺に移設された

大須の万松寺は春姫の菩提寺。春姫の御霊廟はもともと万松寺に建てられ建中寺に移設された

戦災で焼失した名古屋東照宮の社殿は、建中寺にあった春姫(高原院)の御霊廟を譲り受けたもの

戦災で焼失した名古屋東照宮の社殿は、建中寺にあった春姫(高原院)の御霊廟を譲り受けたもの